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読み込み会レポート 西野玄祐
カオス系の暗礁めぐる哲学の魚(1997年初版発行)

著者 黒崎政男(東京女子大理学部哲学科教授)
 

 ・この本について

 この本は季刊インターコミュニケーション1994年夏号(No.9)〜96年秋号(No.18)に「メディアと哲学」という表題で掲載された論考を一つにまとめたもので全部で九つの章で構成されています。なお、読み込み会においては全9章ある本文の中から第9章(最終章)を抜粋して扱いました。著者は黒崎政男氏で、東京女子大理学部の教授です。どうでもいいのですが哲学といえば法学部か文学部がやるものだとばかり思っていた私にとって理学部なのに哲学というのはとても意外でした。さらに余談ですがタイトルの「カオス系の暗礁めぐる哲学の魚」というわけのわからないタイトルは吉田一穂著の『稗子伝』(1936)にある「自我系の暗礁めぐる銀河の魚」という一文からきているようです。
 約5年前の本(原稿の初出はさらに前)であるため随所に予測的な書き方、旧システム主体の考え方が見えるのですが、ここに示されているメディアに対する哲学的な問いの数々(たとえばVRの問題や実在の問題についてなど)の問題は今日においても普遍的な問題として扱われています。また、5年前ということを念頭において当時と今の違いを探しながら読み進めても面白い本です。
 


 ・この本と自分

 私自身は現在「普遍」をテーマに創作に向かっているつもりですが、これは法学部在学中に法学と芸術の共通点を(強引にも!)見出そうと葛藤していた頃に行き着いたテーマでもあります。その頃から様々なものの関係性を考え、そこに普遍性を見出すことに腐心していたわけです。というわけで、本書の読み込みを通じて普遍性とメディアの関連性を考察してみようと考えたのですが、いかんせん難しい単語が多すぎて理解不能との批判も噴出したようです。それもそのはず、「あとがき」に作者自身が「本書の考察は著者があらかじめ知っていることをわかりやすく伝える性質のものではない」と断言しており、本書を「苦悩の記録」(P279あとがき)だと位置づけているのですから。と、いうわけで無謀にもそのような難解な書物を題材にとりあげ読み込み会に臨みました(レジメ作ってこなくて、ほんとにごめんなさい)


 
 ・「カオス」について

 タイトルにもあるとおり本書の重要テーマの一つである「カオス」について少しばかりまとめておきます。実は本書、第7章において「決定論的カオス」というタイトルで扱われています。もともとカオスという言葉は簡単に言えば「ごちゃごちゃしている」という意味で、言い換えれば法則、必然、確実といった秩序(cosmos)側の概念とは対立した概念なわけですが「決定論的」と言っているように本書では秩序性と非秩序性を持った概念が一つの言葉の中に同居しているわけです。ようするに今まで秩序性を有していると思われていた数式の中にも繰り返し演算することによってカオスが現れる、ということが本書におけるカオスに対する考察の根底を成しているのだと思われます。ここでは所謂、フラクタル幾何学などに関連した思考(カオス・フラクタル問題)も必要とされるわけです。
 カオスをここで言う「決定論的」なものとして考えるか、「ごちゃごちゃなもの」という一般論で考えるのかによって思考も大きく違うので読み込み会では「決定論的」なカオスとは何かについてもう少し詳しく話すためにも第7章を抜粋したものなどを持って行くべきだったのかもしれません。
 決定論的カオスに関しては本書でも二つの章をさいて考察しており、読解を進めるほど恐らく文系の私にはこれ以上関わるのはよくないのではないかという感すらありますが、せっかく読んだのだから何らかの形で作品に反映しようと考えています。